年収より「残る額」― 長野と東京、ゆとりはほぼ同じでも中身は正反対
「東京は給料が高いけれど、家賃も高い」「地方は家が安いけれど、車がないと暮らせない」。よく聞く話ですが、実際の家計ではどうなっているのでしょうか。国の家計調査をもとに47都道府県の「経済的ゆとり」を比べたレポートを見ると、長野県と東京都がほぼ同じ位置に並び、しかもその中身は正反対であることがわかります。お金に加えて、家の広さと通勤時間のデータも重ねながら、住宅ローンの考え方まで整理してみます。
「経済的ゆとり額」とは何か?
手取りの収入から、暮らしに欠かせない支出を差し引いた「残る額」のことです。
このレポートは、民間のクラシノ株式会社が総務省「令和6年全国家計構造調査」を集計したものです。手取りから、食費・住居費・交通通信費・光熱水道費・教育費・保健医療費を引いた残りを「経済的ゆとり額」と定義しています。持ち家の世帯にも「借りたらいくらか」という住居費(帰属家賃)を加え、持ち家の多い地方が安く見えすぎないよう補正しています。
対象は2人以上の勤労者世帯で、自営業などの世帯は含まれていません。また、この記事で使うデータは調査年が異なります。家計は2024年、家の広さと通勤時間は2018年の調査です。
1位はどこで、東京と長野は何位だったのか?
1位は福井県でした。長野県は18位、東京都は19位で、その差は1人あたり月225円です。
都道府県 | 経済的ゆとり額 | 手取り収入 | 住居費 | 交通費(車+公共) | 上下水道 |
福井県 | 132,887円(1位) | 287,433円(4位) | 45,691円 | 15,310円 | 3,339円 |
長野県 | 117,847円(18位) | 266,207円(17位) | 42,477円 | 18,718円(3位) | 3,991円(2位) |
東京都 | 117,622円(19位) | 319,562円(1位) | 85,815円(1位) | 13,256円 | 2,794円 |
※1人あたり・月額。世帯人員の平方根で割った換算値で、家計簿の実額とは異なります。住居費には持ち家の帰属家賃を含みます。出典:クワシーノ「47都道府県『経済的ゆとり』ランキング」
福井県が1位になった決め手は、一人ひとりの給料の高さではなく、世帯の中で働く人の数でした。有業人員が2人を超えるのは福井県と群馬県だけで、共働き夫婦の割合も全国1位です。一人で全部を背負わず、何人かで少しずつ稼いで支え合う形が、ゆとりを生んでいます。
八ヶ岳西麓の地域の暮らしにも、これと形の似た仕組みがあります。区(自治会)の役、水路の掃除、雪かき、草刈りを、みんなで薄く分け合っています。移住してきた人は、その中の一役を引き受ければ回ります。
なお、上位の順位は数百円から数千円の差で並んでおり、サンプルの少なさによる歪みの可能性を著者自身も認めている項目があります。順位そのものより、中身を読むほうが役に立ちます。
同じくらいの「ゆとり」なのに、何が違うのか?
東京では収入の高さを住まいの費用が吸い、長野では住まいの安さを車と水道が吸っています。
東京の手取りは長野より月5万円ほど多い一方で、住居費も月4万円以上高くなっています。レポートは、東京へ移ると給料が9万円ほど上がる一方で家賃も5万円ほど上がる、と整理しています。
長野は反対です。住まいの費用は全国でも低い側ですが、自動車の維持費は全国3位(16,201円)、上下水道料は全国2位(3,991円)です。住まいが広く点在すると水道の効率が下がり、山や雪の多い地域では管の維持や凍結対策の費用が料金に上乗せされやすい、とレポートは分析しています。
一方で、都市が得ているものもはっきりあります。賃金水準が高く、仕事や転職の選択肢が多いこと。専門的な医療や、進学・習い事の選択肢が身近にあること。車を持たずに公共交通で動けること。外食の多さについても、レポートは物価の差より選択肢の豊富さと利用のしやすさの表れだと見ています。東京の住居費の高さは、こうした選択肢のそばに住むための費用でもあります。
どちらが良い悪いという話ではありません。都市には都市の、山麓には山麓の費用のかかり方と、得られるものがある。構造の違いです。
家と土地の広さは、どれくらい違うのか?
長野の持ち家は東京の約1.6倍の広さで、敷地は約2.5倍あります。
都道府県 | 持ち家の延べ床面積 | 1住宅当たりの敷地面積 | 持ち家率 |
東京都 | 93.3㎡(約28坪) | 139㎡(約42坪) | 45.0% |
全国 | 119.9㎡ | 252㎡ | 61.2% |
長野県 | 148.3㎡(約45坪) | 342㎡(約103坪) | 71.2% |
福井県 | 164.7㎡(約50坪) | 303㎡(約92坪) | 74.9% |
※2018年住宅・土地統計調査の値(総務省「社会生活統計指標」収録)。持ち家の延べ床面積の全国1位は富山県の171.8㎡。
前の表で見たとおり、長野の住居費は1人あたりで東京の半分ほどです。そして、持ち家の広さは東京を大きく上回っています。住居費は借家を含む全世帯の値、広さは持ち家の値なので、単純に掛け合わせることはできません。それでも、住まいにかける費用が小さく、住まいそのものは広い、という二つの傾向ははっきりしています。
「経済的ゆとり額」は1人あたりの金額で比べており、家の広さは考慮されていません。レポートの著者も、平米あたりで比べれば東京と地方の差はさらに開くだろうと書いています。
庭で野菜を育てる、薪を積んでおく、車を2台置く、道具を広げて作業をする。広さはそのまま、暮らしの中でできることの幅になります。畑でとれた野菜は、家計の数字には食費が「減った」形でしか表れません。
通勤時間は、どれくらい違うのか?
地方の通勤は短く、都市の通勤は長い。1日では小さな差でも、1年で見ると大きくなります。
都道府県 | 片道の通勤時間 |
神奈川県 | 46.8分(全国1位) |
東京都 | 42.6分(4位) |
全国平均 | 32.9分 |
長野県 | 22.8分 |
福井県 | 22.7分 |
※平成30年住宅・土地統計調査をもとにニッセイ基礎研究所が算出。家計を主に支える雇用者が対象。
東京と長野の差は片道で約20分、往復で約40分です。年間に働く日を240日とすると、およそ160時間になります(当社試算)。フルタイムで働く1か月分に近い時間です。
この傾向は、東京圏が最も長く、大阪圏、名古屋圏が続くという形で、どの調査にも共通しています。通勤時間は、家計の数字には表れない「もう一つのコスト」です。
住宅ローンは「年収」で組むものなのか?
一般には年収で組みますが、本来は「暮らした後に残る額」で組むのが妥当です。
住宅ローンの審査は、額面の年収に対して返済額がどのくらいの割合になるかで判断されるのが一般的です。年収が同じなら、どこに住んでも借りられる額はおおむね同じになります。
会社にたとえると、年収は「売上」にあたります。会社は借入を売上から返すのではなく、経費を払った後に残る「利益」から返します。家計も同じで、本当に返済に回せるのは、その土地で暮らすのに欠かせない費用を払った後に残る額です。自営業の方にとっては、この話がそのまま文字どおりの意味になります。
今回のデータをもとに、手取りから住居費以外の基礎支出(食費・車・光熱水道・教育など)を引いた「住まいに回せる元手」を試算しました。
都道府県 | 住まいに回せる元手 | 住居費(帰属家賃を含む) | 元手に占める住居費の割合 |
東京都 | 約20.3万円 | 約8.6万円 | 約42% |
福井県 | 約17.9万円 | 約4.6万円 | 約26% |
長野県 | 約16.0万円 | 約4.2万円 | 約26% |
※1人あたり・月額。レポートの「経済的ゆとり額」と「住居費」を足し戻した当社試算です。
元手の大きさだけを見ると東京が大きく見えますが、そのうち4割強を住まいに使っています。長野は元手こそ小さいものの、住まいに使っているのは4分の1ほどです。住まいで無理をしていないのは、むしろ長野のほうです。
注意したいのは、長野の元手が小さくなる理由です。車や水道にかかる分が元手を削っています。都市の暮らしを前提に「この年収ならこれだけ借りられる」と考えたまま移ると、車、灯油、井戸や浄化槽の保守といった、都市ではかからなかった固定費が後から効いてきます。都市で車を持たない人が地方へ移る場合、レポートは維持費の月1〜1.5万円に車両の購入費を加えた額を目安に挙げています。
順番はこうです。まず暮らしの固定費を先に引く。残った額の中で返済額を決める。最後に借入額が決まる。「いくら借りられるか」ではなく「いくらなら残る額から返せるか」から考えることが、山麓の暮らしのゆとりを守ります。個別の借入については、金融機関や専門家に相談のうえ判断してください。
長野の「車と水道」は、八ヶ岳西麓で変えられるのか?
全部を変えることはできません。ただ、土地の選び方と整え方で、費用のかかり方の構造は変えられます。
水について。 八ヶ岳西麓では、上水道の本管が来ていない土地で井戸を掘り、下水を浄化槽で処理する形が珍しくありません。この場合、水道料金という形の費用はかかりません。ただし、費用がゼロになるわけではありません。
井戸は水質検査と水量の確認が欠かせません。ポンプの電気代や、将来の修理費もかかります。
浄化槽には定期的な保守点検と清掃の費用がかかります。今回の統計では、浄化槽の維持費は調査の対象外です。
安く済ませる方法としてではなく、「水を自分の手元で管理する暮らし」として選ぶものです。この費用も、ローンを考える前に引いておく固定費に入れてください。
車について。 八ヶ岳西麓で車なしの暮らしは現実的ではありません。それでも、畑・買い物・区の集まり・子どもの学校が生活圏の中でまとまっている土地を選べば、走る距離は大きく変わります。
冬について。 灯油代、水抜き、凍結対策、除雪は、この地域の暮らしに必ずついてきます。家が広い分、暖める空間も広くなります。一方で、長野県の光熱費は1人あたり9,096円で全国39位と、寒冷地の中では低い側でした。寒さの実務と費用を事前に知っておくことが、ゆとりを守る一番の備えになります。
鑑定士の所見:数字に出ない「いい暮らし」とは何か?
年収の低い地方のほうが、地域から直接届く美味しいものを食べ、趣味にお金を使い、時間にもゆとりのある暮らしをしている。これはあまり語られない、地方の暮らしの秘密です。
不動産鑑定士として、数字で土地と暮らしを読む仕事をしてきました。統計の上では、地方の年収は都市より低く出ます。けれど、茅野で暮らし、この地域の方々と日々接していると、別のものが見えてきます。
地域から直接届く、とれたての美味しいものを食べている。そして、趣味にしっかりお金を使っている。年収の数字だけを見れば控えめでも、暮らしそのものはとても豊かです。
東京で働いていた頃を振り返ると、遅くまで職場に残ることが当たり前という雰囲気がありました。帰りの電車に乗る頃には、一日の大半が仕事と移動で終わっていました。こちらでは、夏は仕事を終えた夕方に畑に出ます。日が長いので、明るいうちに一仕事できます。休みの日には、広い敷地で趣味の道具を広げている人もいます。
「経済的ゆとり額」は、暮らしに欠かせない支出を払った後に残るお金です。趣味に使えるのは、まさにこの「残る額」です。そして、そのお金を使う時間が夕方以降に残っているかどうか。それを楽しめる広さが家と土地にあるかどうか。年収を、働いた時間と移動した時間、そして住まいの広さまで含めて比べると、手元に残る豊かさの差は額面ほどではありません。お金と、時間と、広さ。その三つが手元に残る暮らしに、数字には出にくい地方のいい暮らしの正体があると考えています。
都市には都市の豊かさがあります。ただ、この秘密は、実際にここで暮らしてみないと、なかなか見えてきません。
まとめ:どこに住むかより、何が手元に残る暮らしか?
大事なのは収入の多さではなく、暮らした後に、お金と時間と広さが手元に残る構造になっているかです。
東京は、高い収入と多くの選択肢を、住まいの費用と長い移動時間で支える暮らしです。福井は、世帯で働く人を増やしてゆとりを生む暮らしです。八ヶ岳西麓は、住まいの費用と通勤時間が抑えられ、家も土地も広い代わりに、水や移動を自分の側で整える必要がある暮らしです。
住まいにかけるお金も、年収という「売上」からではなく、暮らした後に残る「利益」から決める。それが、この土地で長く暮らすための順番です。
井戸の水、畑の野菜、区での役割、広い土地、そして夕方に残る時間。派手な準備ではなく、日々の暮らしの中に組み込まれた、静かな自前化です。統計の外側にあるこうした部分を、土地ごとに一緒に確かめていければと思います。
出典
クワシーノ(クラシノ株式会社)「本当に暮らしやすいのはどの都道府県? 47都道府県『経済的ゆとり』ランキング発表」(2026年6月11日)
総務省統計局「令和6年(2024年)全国家計構造調査」
総務省統計局「社会生活統計指標 −都道府県の指標− 2022」(平成30年住宅・土地統計調査の値)







