日本の中で、どこへ動くか——物価高と分散の地図
- 5月21日
- 読了時間: 6分
「ここなら100年大丈夫ですか」と聞かれて、世界の地図から答えはじめた話を、前回書いた。世界スケールで見ると、日本は「相対的にかなり粘れる側」に立っている。けれど、日本という国に住んでいるだけでは足りない。日本のどこに住んでいるかが、これからの100年で決定的に重要になる——そこまでが前回の話だった。
今回は、その「どこ」の話をする。日本の中で、いま実際に何が起きているのか。
実は、月に一度、東京・有楽町のふるさと回帰支援センターに相談員として座っている。長野県の窓口で、移住希望者から話を聞く側に回る日だ。
統計の数字を眺めるのと、目の前に座った人の話を聞くのとでは、見えてくる景色がまるで違う。今回は、両方を行き来しながら書きたい。
5年連続最高更新——人が動いている量
データから入る。
2025年の移住相談件数は7万3,003件。2024年の6万1,720件から18.3%増。5年連続で過去最高を更新した。これは公益社団法人ふるさと回帰・移住交流推進機構(旧ふるさと回帰支援センター)の集計。
5年連続の最高更新——これは流行ではない。人の動き方そのものが構造的に変わっているということだ。
しかも、有楽町の窓口で接していると、相談者の中身が変わってきているのがよく分かる。
10年前の相談者の中心は、定年が近い50〜60代だった。子育てが終わり、第二の人生を地方で——というパターン。今は違う。20代カップルが来る。結婚前の単身者が来る。30代の子育て夫婦は、もう「移住する/しない」ではなく「どこに移住するか」を聞きに来る。
ふるさと回帰支援センターも、2025年の長野県への相談について「住宅価格の高騰を背景にコストダウンを目的とした検討者が増えた。特に20代は結婚前から堅実な生活設計を立てる傾向が強く、相談が増加」と分析している。
20代が、結婚前から、堅実に。これは10年前にはあまり聞かなかった層だ。
何が彼らを押し出しているか——東京の家賃という現実
20代を地方へ向かわせている現実的な圧力のひとつが、東京の家賃だ。
2026年1月、東京23区のファミリー向け物件の掲載賃料平均は月25万2,464円。18ヶ月連続で上昇し、過去最高水準。ひとり暮らし向けの賃料も月12万5,814円と過去最高を更新した。
ひとり暮らしで月12万5千円——年間150万円。手取り20万円台の若者にとっては、収入の半分以上が家賃に消える計算になる。残ったお金で食費・通信費・交通費・税金・社会保険料を払うと、貯金どころか月末に赤字が出る。
日本総研の分析では、東京都区部の家賃上昇には3つの要因が指摘されている。投機目的の短期売買による住宅価格上昇、住宅価格上昇に伴う賃貸選択の増加、20〜30代の転入超過——。住宅価格が上がる→賃貸に流れる→賃料も上がる、という連鎖。出口がない。
有楽町で20代の相談を受けるたびに思う。彼らは「夢の田舎暮らし」を語らない。むしろ淡々と、現実的なコスト計算を持ってくる。「東京で月12万の部屋に住んで貯金できない暮らしを30年続けるより、5年で動いたほうが合理的だと思いまして」——そう言われると、返す言葉がない。
「分散しているところ」が選ばれている
ふるさと回帰支援センターの2025年ランキングは、こうだ。
1位 群馬県(2年連続)、2位 栃木県、3位 長野県。
この3県には共通点がある。三大都市圏に近すぎず、遠すぎない(首都圏から新幹線で1〜2時間)。県内に山も平地もある(分散した居住エリアが選べる)。県庁所在地に一極集中していない。地震が少なく自然災害が比較的穏やか。食料生産基盤がしっかり残っている。つまり、分散しているところだ。
群馬の30代子育て世帯、栃木の女性相談者増、長野の20代と教育移住——いずれも、東京の一極集中に疲れて、分散している場所を探している人たちだ。「災害の少ない地域に住みたい」「家族や自分の時間を大事にしたい」という声も増えている。
「人気の移住先ランキング」と言ってしまうと、ファッションのように響く。けれど中身を読むと、これはむしろ生存戦略の地図だ。物価高・住宅高騰・気候不安——そのすべてに対して、「分散しているところへ動く」という解が、静かに広がっている。
長野県3位——ただし「長野県」では大きすぎる
ここで、私が住み・働いている長野県の話に入る。長野県は5年連続でトップ5圏内、2025年は3位。「長野の相談はセンターへ」という認知が定着し、2025年は相談員を3名体制に増員。11月の相談件数は過去最多を記録した。
ただし、ここで大事なことを言わせてほしい。「長野県」というくくりは、移住先選びにはあまりに大きすぎる。
長野県は、北は新潟との県境(雪が多く冬厳しい)から、南は静岡・愛知との県境(温暖)まで、南北約220km。標高も100mから3000m超まで。気候も方言も農作物も、地域ごとに大きく違う。佐久・上田・松本・伊那・諏訪・北信——どこを選ぶかで、暮らしの形が全く違う。
そして、3本目以降でゆっくり見ていくけれど、八ヶ岳西麓(茅野市・原村・富士見町)は、その「長野のどこか」の中でも、かなり特殊な位置にある。
「楽ち倶楽部」で見えてくる、もう一段の現実
統計と窓口の話だけでなく、もうひとつ書いておきたい現場がある。
茅野市と地元不動産会社が共同運営する「楽ち倶楽部」という移住者交流の場があって、楽園信州ちのの下部組織として動いている。私はそこのまとめ係をやっていて、年に何度かBBQや飲み会を企画する。会場は茅野市の尖石遺跡の裏、坂本養川の像が立つ場所。縄文5,000年前と江戸後期と令和が、同じ200メートル四方の中に重なる場所だ。
そこに集まってくるのは、ここ1〜5年で八ヶ岳西麓に移住してきた人たち。20代の就農夫婦、30代のリモートワーカー、50代の二地域居住者、60代のセカンドキャリア組。立場はバラバラだ。
「最初は怖かったけど、入ってみたら気が楽になった」「区の役を引き受けたら、雪かきも農作業も声かけてもらえるようになった」「東京にいた頃より、人と話す回数が増えた気がする」——派手な成功談ではない。けれど、「集約・依存・固定化」の反対側で暮らしを組み直している人たちの手応えが、ぽつぽつと聞こえてくる。
「広域郊外」という新しいカテゴリ
東京から見て、「郊外」と「広域郊外」は別物だ。都内(都心〜30分)は集約・依存・拡張の中心。郊外(都心〜1時間)は集約の延長で家賃は下がるが通勤前提。広域郊外(都心〜2時間以上)は通勤を前提にしない、別の生活設計だ。
長野県・群馬県・栃木県は、この広域郊外に該当する。新幹線で1〜2時間、リモートワークと月1〜2回の都内打ち合わせを組み合わせれば暮らせる距離。けれど、毎朝の通勤前提ではない。リモートワークが定着して、初めて「広域郊外」が現実的な選択肢になった。
通勤圏の郊外は、家賃が安いだけで、構造としては都市集約の延長線上にある。一方、広域郊外は、そもそも集約の論理から外に出る選択肢だ。「分散しているところへ動く」と言ったとき、その実体は多くの場合、この広域郊外を指している。
次回:三大都市圏から、広域郊外への動きの構造
次回は、もう少し動きの構造を深掘りする。なぜ三大都市圏(首都圏・名古屋・大阪京都)から人が動き出しているのか。リモートワーク・物価高・気候不安——複数の押し出し圧力がどう重なっているのか。
有楽町の窓口で20代の相談を受け、楽ち倶楽部のBBQで30代と乾杯する——この往復を繰り返していると、「移住」という言葉では捉えきれない大きな流れが見えてくる。それは、戦後80年続いた「集約・拡張・依存」の暮らし方が、世代交代と物価高の中で、静かに賞味期限を迎えている、という流れだ。
「ここなら100年大丈夫ですか」を問える土地は、日本中にいくつもある。けれど、自給と地縁と分散の3つが同時に揃って残っている土地は、思うほど多くない。物件のことでも、暮らしの設計のことでも、相談があればいつでも声をかけてほしい。一緒に考えていけたら、と思う。



