御柱街道沿いの土地が動いている——森・畑・古民家が選ばれる現場
- 5月17日
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東京から戻ってきた鑑定士が見ている、五千年の地縁と現場の動き
御柱街道沿いの土地が、なぜか売れる
不動産事業者として八ヶ岳西麓の土地の動きを毎日見ていると、ある傾向に気づく。
御柱街道沿いの土地が、なぜか売れる。
御柱祭で柱を山から里まで運ぶルートは、地区ごとに決まっている。何百年も前から、同じ道を、同じように御柱が通ってきた。その御柱街道沿いには、古い集落があり、古い水利があり、古い氏子組織がある。
森と畑と古民家と区。この四つが揃っている土地は、5年前なら売れにくい物件の代表だった。「区が強くて面倒くさい」「畑がついていて使いきれない」「古民家は寒い」——そう言われて、買い手がつきにくかった。
ところが、いま動いている。
そういう物件への問い合わせが、ここ2〜3年で明らかに増えた。20代から40代の若い世代が、希望条件として「区加入は問題ない、むしろ歓迎」「畑をやりたい」「鶏も飼いたい」と最初から言ってくる。
5年前なら考えられなかった現象だ。「ここ、なんだか落ち着くんですよね」「何かがある」と仰る方が多い。理由を言葉にできなくても、現場に立つと人が住みたくなる——そういう土地が、御柱街道沿いには確かにある。
これは私の主観ではなく、実際に売れている、という事実の話だ。
なぜなのか。
木落し坂と、子供御柱の記憶
その答えを探すには、まず私自身の話から始める必要がある。
私は東京に長く住んでいた。鑑定士になってから八ヶ岳西麓に戻ってきて、いまの仕事をしている。地元出身ではあるが、ずっと地元にいたわけではない人間だ。
ただ、御柱の年(7年ごと)になると、木落し坂には毎回行ってしまう。それを見ないと、その年が始まらない感じがする。
小学生の頃は子供御柱に出ていた。本物より一回り小さい柱を、地区の子どもたちが綱を引いて運ぶ。地区の子ども全員が同じ綱を握る経験。今でも当時の同級生の顔が思い出せる。
そういう原体験があるから、東京で長く暮らしていても、御柱の年が来ると身体が反応する。自分は氏子としては中途半端な距離にいるけれど、御柱は自分の中に残っている——という感覚だ。
そして、諏訪大社にも年に何度か行く。観光ではなく、生活の節目で。子どもの名前を決めるとき、候補をいくつか出してから諏訪大社にお参りに行く。神様が「だめ」と言うわけではないが、その場に立つと、決まる。生まれたらお礼に行く。地元の人ならよくやることだ。神社が遠い場所ではなく、家族の一員のような距離にある。
私のように東京で長く暮らしていた人間でも、戻ってくると自然にこうなる。この感覚は、頭で考えて作るものではない。
原と泉野は、同じ御柱を一本担いでいる
ここで、もう一つ書いておきたいことがある。
御柱祭で、上社の柱は4本。それを諏訪地方の氏子たちが地区ごとに分担して担ぐ。どの地区がどの柱を担当するかは、抽選で決まる。
そして、原地区の氏子は、茅野市泉野地区の氏子と共同で、上社の一本の柱を曳いている。
これは原村の公式記録にも残っている事実だ。原と泉野は、御柱で結ばれている。
なぜこれを強調するかというと、前回の記事(犬が元気になる森)に書いた私のおばあちゃんの古民家が、まさに茅野市泉野中道にあるからだ。
泉野——デイダラボッチが八ヶ岳から削った土を置き去りにしたとされる地。大泉山と小泉山がある地。「泉」という地名のとおり水が豊かな土地。私のおばあちゃんが住んでいた場所。
そしてその泉野が、原と一本の御柱でつながっている。
つまり私の家族の地縁は、御柱という一本の柱で、原と泉野を結ぶ線の上にある。私が後から作った話ではなく、明治以前から続いている氏子の組織がそうなっている、というだけの話だ。
地縁は、こういうふうに形を持って続いてきた。書類でも、契約でもなく、7年ごとに同じ柱を一緒に担ぐという具体の行為で。
これは強い。家系の血縁とは別の、柱を共有する縁だ。これがいまも生きて動いている地域は、日本でもそう多くない。
御柱街道は、こういう柱で結ばれた集落を縫って走っている。
子どもの地区参加と、「かかわり」
私の子どもは、いま地区の活動に頑張って参加している。
御柱の年なら子供御柱。普段の地区の集まり、清掃、子ども会。親としては強制しているわけではない。だが、子どもが自分から参加していく姿を見ていると、かかわりが大事だなと改めて思う。
私自身、東京から戻ってきて、地区との関わりが自分を支えていることを実感している。畑の余り野菜のおすそ分け、区の役の引き受け、御柱の準備、近所の高齢者の見守り——こういう細かい関わりが、暮らしの土台になっている。
外から見ると分かりにくい。「区に入ると面倒くさい」と移住検討者からよく聞く。たしかに時間は取られる。だがその時間が、土地と地縁と自分をつなぐ。引き受けた人にしか分からない循環がある。
私は、それを子どもの世代に伝えたいと思っている。かかわりが大事だと、私自身が信じているから。
「区が機能している地域は、資産価値が守られる」
物件案内をしていると、よくこう聞かれる。
「移住したら区に入らないといけませんか」
「役を回されるのが心配です」
私はだいたい、こう答える。
「区が機能している地域は、資産価値が守られます」
これは抽象的な精神論ではなく、鑑定士として現場で見てきた事実だ。
区が機能している地域では:
隣地の境界で揉めたとき、区の長老や役員が間に入ってくれる
水利・排水・通行で問題が起きたとき、区の慣行として解決の道筋がある
外部資本が地域に入ろうとしたとき、区として情報を共有して意思を示せる
空き家・耕作放棄地が出たとき、区の中で次の引き受け先を相談できる
災害や急病のとき、近所の助け合いが機能する
これらが全部、土地の価値を下支えしている。区が機能していない地域や、管理組合主体で組合員相互の交流が薄い別荘地などでは、これらがない。外部からの侵害に弱く、トラブルが個別に放置されて長期化する。
区が強い=面倒くさい、ではなく、区が強い=守られている、ということだ。
そして、コロナ後の現在、区そのものも変化している。
飲み会は最低限に。集まりは簡素化。不要な役は減らす。古参だけでなく新しい人にも役を回す。保守的だが効率的な組織へと、区自身が再設計している。
「昔の重い区のイメージで身構える必要はない。むしろ、これからの時代に守られて暮らすために、区に入っておくほうが賢い選択」——移住検討者の方には、こう話している。
森と畑のある集落で、起きていること
ここまでの話を、冒頭の問いに戻して整理したい。
御柱街道沿いの土地が、なぜか売れる。その答えは、こうなる。
御柱街道沿いの集落には、1,200年以上続いている氏子の組織が、いまも生きている。それは祭の組織であると同時に、地区そのものの組織でもある。原と泉野が一本の柱を担ぐように、集落と集落、人と人が、目に見える形で結ばれている。
そういう集落には、必ず森と畑がある。
森は、御柱の用材を切り出す山であり、薪を採る山であり、水源を養う山だ。畑は、地区の食を支え、季節を刻み、近所同士の交換の場になる。森と畑は、御柱と区と一緒にワンセットの構造として、長い時間をかけて作られてきた。
いま動いている20代から40代の方々は、たぶんこれを身体で感じ取っている。
「集約された都市・固定費の高い暮らし・外部依存の生活」が、コロナと物価高で脆いことが見えてきた。その反対側にある分散した暮らし・自給的な暮らし・地縁の中で対等に暮らす暮らし——これを成立させる土台が、御柱街道沿いの森と畑のある集落には、まだ残っている。
しかも、ほとんど壊されずに。新幹線もリニアも通らなかった八ヶ岳西麓だから、外部資本の大規模開発の波が届かなかった。結果として「壊されずに残った」場所が、今になって再評価されている。
「神話が全国で注目されている」と最近よく感じる。諏訪大社、御柱祭、ミシャグジ神。書籍、ドキュメンタリー、SNS。諏訪が再発見されている。その再発見は観光だけでは終わらず、実際に人が移り住む現象として、地に足のついた動きになっている。
御柱街道に、人が住みたがる。
人が住みたがる土地は、力がある。
力がある土地は、資産価値が守られる。
これらは別々の話のようで、全部つながっている。
物件を見るとは、地縁を見ること
御柱街道沿いの森と畑のある集落で、いま物件を探している方が増えている。
物件を見るとは、土地を見ることだ。そして土地を見るには、その土地に流れている地縁を見たほうがいい。
御柱街道に物件を見にいらしたら、ぜひその地区の人に挨拶してみてほしい。区の役員さんに話を聞いてみてほしい。「ここの御柱はどこから来るんですか」と聞いてみてほしい。
答えてくれる方の表情を見れば、その地区が生きているかどうかが分かる。生きている地区の土地は、これからの時代に守られる。
そういう地区とご縁を結べる方と、これからも仕事をしていきたいと思っている。





